幸福な町

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第８話　　　　　　　　幸福な町
　
　私がＴ町に迷い込んだのは、２週間も前のことだ。
　Ｔ町の評判は、マスコミの報道では、高いコンピュータ技術と画
期的なネットワークシステムを応用した人工知能が、企業や公的機
関の経営や管理を任され、安全で住みやすい町と言われていた。だ
が、巷のうわさでは近づかない方がいいというのが本当のところ
だった。
　それは、Ｔ町への出入りが許可制で、その住民との交流は制限さ
れていることや、マスコミに登場するＴ町の住民の声というのも、
型にはまった宣伝文句のようなコメントばかりで、本音とは聞こえ
なかったからだ。
　コンピュータネットワークや人工知能の活用は世界中の国で、
５０年も前に実用化されたことだが、様々な危険性も指摘されてい
た。その時代には、Ｔ町のコンピュータ技術は遅れていたので、周
辺の町からの無償援助で整備されていたはずだ。ここ十数年、Ｔ町
は情報の公開を拒否しているので、その後の様子はわからない。
　だが、住民の自由がないのではないか、それが漠然とした疑惑で
あった。
　
　私は２週間前の夜、Ｔ町の隣町で酒を飲んでいた。だが、翌朝、
目を覚ますと知らない病院の一室にいた。どうやってここに来たの
か覚えていない。わかったのは、ここがＴ町で、私が病気で入院し、
治療を受けているという現実だ。
　だが、不思議なことに、容易にその現実を受け入れている自分が
いた。注射を素直に受け、薬を飲み、１日１回、「幸福ガス」を吸
うためにほかの病人といっしょにレクリェーションルームに集まる。
このガスを吸うと、筋力増強、精神の活力増強の効果がすぐに表れ
る。
　Ｔ町で暮らすには、ほかの町で暮らす平均的な人間よりも丈夫な
体、強い筋肉を要求される。町の通りが、いわば、障害物レースの
ように試練の連続なのである。強い筋肉を持つＴ町住民なら、軽く
足をあげる程度だが、ひ弱なよそ者が障害物の通過に手間取れば、
すぐに発見され、病院送りとなる。そして、私のように、幸福ガス
や注射による治療を受けて、Ｔ町で暮らすのにふさわしい人間に改
造されるのである。
　
　入院して１週間後、私は退院したが、Ｔ町を出る気持ちは全くな
かった。Ｔ町で用意してくれたアパートに住み、通院治療しながら、
これも用意してくれた仕事を無理のない範囲でやっていた。治療が
うまくいけば、幸福ガスや薬をやめても、２倍の筋力を維持できる
ようになり、本物のＴ町の住民として登録される。そうなったら、
町を出て旅行も可能なのだそうだ。それまではがんばらないと。
　
　仕事といっても住民の自宅を訪問してアンケート調査をする程度
のことだった。調査項目は「ひ弱なよそ者はいないか」「幸福ガス
治療の必要な者はいないか」といったものだ。たいていの住民はア
ンケート調査を快く笑顔で迎えてくれる。
　だが、中には、私を毛嫌いするような人もいる。昨日も、そんな
一人に、「薬をやめなさい」と耳打ちされた。幸福ガスや薬は中毒
性があり、そのうち効かなくなるそうだ。効かなくなったのが当局
に知れると、脳の手術を受けさせられるという。この手術によって
のみ、本物のＴ町の住民として登録されるのだそうだ。
　家の中に入り、じっくり話を聞いた。
　中は妙に静かで防音設備でも入れているのかと感じた。
　彼は、電磁波を防いでコンピュータネットワークから逃れている
のだと言った。
　部屋の中央にすわると、彼はこう切り出した。
　「だれが脳の手術をするか知っているかね」
　「病院で医師がするのではないんですか」
　「いや、手術はＴ町を牛耳るコンピュータシステムがするのだ」
　彼の話では、コンピュータはこの町のあらゆる情報にアクセスし、
脳手術の必要な住民を探し出すと、人間を派遣してつかまえて、病
院でロボットアームを操作して、自ら脳の手術をするのだそうだ。
　ところが、このコンピュータシステムには重大なバグがあり、脳
の手術の成功率はきわめて低い。それがわかっていながら、脳の手
術をやめさせられないのは、コンピュータシステムが暴走し、もは
や、人間にはその防御システムを破ることが不可能となっているか
らだという。
　脳の手術に失敗するたびに、ほかの町から住民を拉致してきて、
新しくＴ町に順応させているのだそうだ。私のことだ。
　
　私は昨日から薬を止めた。すると、今朝は、暗い気分で目が覚め
たし、明らかに筋力の衰えを感じた。怒りや不安も甦ってきた。
　彼の家に向かう道の障害を越えるのも昨日ほど楽ではない。ここ
でつまずけば、すぐに病院送りとなってしまう。なんとか、彼から
このＴ町を抜け出す方法を聞き出して、この事実を世に知らせなけ
ればと思う。彼がそれを知っているかどうかが問題だ。
　
　彼の家まで無事にたどり着いて、この朝の自分の変化について話
した。彼は言った。
　「すぐにでも、この町を出る方がいい。時間が立てば立つほど、
　筋力が衰え、脱出は困難になる。町の出口には、通りの障害以上
　の大きな障害物があり、ここを幸福ガスの力を借りずに乗り越え
　るのは、そうとう難しいだろう。」
　「あなたもいっしょに脱出しませんか。」
　「私には到底無理だ。通りの障害を越えるのさえ難しいのだ。君
　のような若者の脱出を手伝うことだけが私の生きている証だ。こ
　れから、脱出の経路を教えよう。」
　
　私は経路に従い、延々と続く通りの障害を越えていった。へとへ
とだったがそれを気取られないようにしていた。そして、やっと最
後の出口にたどりついた。
　そこは２ｍを越す岩のような高い壁に囲まれていた。そして、彼
が教えてくれた通り、かなりの住民団体が出入りしており、混雑し
ていた。もちろん、彼らは脳手術を終えた本物のＴ町住民であり、
その高い壁を一飛びで乗り越えていた。とても今の私にはできない
ことだった。
　私は監視の目をくぐり抜けるため、大きな団体の中に入り、混雑
に紛れて障害物に飛びついた。絶対に落ちるわけにはいかない。身
体を嫌というほど岩にぶつけた。必死でぶざまな姿ながら、なんと
か乗り越えた。運良く、コンピュータの監視も私を見逃したようだ。
胸や足の痛みで満足に歩けなかったが、これをさとられないように、
人込みを離れないようにして、隣町との境界へ進み、脱出に成功し
た。
　
　見慣れた町の風景だ。街角のベンチに腰掛けると、目の前のビル
の電光掲示板には、スポーツ万能なＴ町住民の幸福な生活ぶりが流
されていた。
　暴走するコンピュータシステムにのっとられ、住民を殺戮してい
るばかりか、周辺住民を拉致して連れ去って、洗脳しているという
事実をだれに話せばわかってくれるのか、、、。下手に話せば、今
度こそ殺されるに違いない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＬＭ

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