夢

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第１話　　　　　　　　　　夢
　
　その青年は、近頃、いやな夢ばかり見るような気がした。はっき
りと思い出せないのだが、なんともいやな気分で目が覚めるのだ。
　なぜ、そんな不愉快な夢を見てしまうのか、どう考えてもわから
なかった。人に恨まれる覚えもないし、実際の生活も実直そのもの
だ。むしろ、もっとくだけたほうが良いとさえ思われているのだが、
青年の性格で、まじめな生活が一番過ごしやすいのだった。
　そんな彼にも、思う存分羽根を伸ばし、のんびりと、おもしろお
かしく過ごせる時間があった。それが、夢を見ているときだった。
　一月前までの青年は望むままの夢を見ることができた。そして、
夢を見ている間も現実と全く変わらない、いや、それ以上に充実し
た時を過ごしていた。
　青年は時間が許す限り、12時間くらいは寝ることにしていた。そ
れだからこそ、仕事やふだんの生活でもまじめ一本でやっていられ
るのだし、バランスが取れていたのだった。だから、彼にとって夢
が不快であることは、誰にもまして切実な問題なのである。
　毎日の生活を振り返り、反省すべき点は改めていった。そして、
床につく前には、今夜こそと祈るような気持ちになって眠るのだっ
た。
　
　しかし、この日の夢にはなんと悪魔が出てきた。いままで、漠然
としかわからなかった夢のことが今夜はずっとよくわかる。
　悪魔は言った。
　「ずいぶん長いこと迷惑かけたな。でも、今日で終わりだ。今ま
では、難しい問題があったので、ぼんやりした夢になるように細工
したが、今夜はその必要もない。最後になんでも望みをかなえてや
るぞ。」
　青年は久し振りで胸のつかえが取れたようなさわやかな気持ちに
なった。
　「では、やっぱり、私は良くない夢を見ていたんですね。それが
あなたのせいだったというわけだ。また、なんで僕を苦しめていた
んです。」
　「それを話しても、朝には忘れることになるから、無駄だよ。簡
単に言えば、人間の寿命を延ばす研究だ。悪魔には似合わないと思
うだろうが、寿命を延ばす研究が反面で縮める研究にもなっている
のだ。」
　「でも、なんで、私なんですか。ほかにもっと苦しめるのにちょ
うど良いような悪人がいるでしょう。私は納得できません。」
　「それは人間のあさはかな考えだろう。この世に悪人などいない。
ただ、悪の想念があるだけだ。おまえを選んだのは、睡眠時間が長
いので、研究に都合良かったというだけのことだ。しかし、もうど
うでも良いではないか。おまえに特別望みがないのなら、これでお
さらばするぞ。」
　「ちょ、ちょっと待ってください。」
　青年は落ち着いて考えてみた。夢の中とはいえ、めったにできる
経験ではない。ぜひ、結末まで経験してみたいものだ。なあに、こ
んなこと現実にあるわけないんだから、夢でみるだけでも楽しいじ
ゃないか。青年は気楽に頼んでみた。
　「そうですね。ぼくの望みはたくさんありますが、『望みがなん
でもかなうという望み』は、どうでしょう。」
　「欲が深いぞ。望みは単一のもので、一回きりのものだ。それか
ら、注意しておくが、これは夢のなかのことだが、望みのことは現
実だぞ。ふざけたことを言うと取り返しがつかん。いいな。早く言
え。」
　青年はなんだかぞっとした。ほんとの悪魔なんだ。早く望みを言
って、さよならしたほうが良さそうだ。なんでもいい。
　「では、どうでしょう。寿命を延ばしてください。できる範囲で
けっこうですから。」
　「研究はまだ終わってはいないぞ。せいぜい百年くらいしか延ば
せないし、いったん延ばすと、決して取り消しはできない。それで
もいいか。」
　「充分です。お願いします。」
　悪魔はさっそく呪文を唱え始めた。ひととおり終わったところで
言った。
　「寿命は延びるが今までと同じ生活はできんぞ。それなりの代価
は払うことになる。では、さらばだ。」
　悪魔は青年の夢から消えた。青年は悪魔が最後に残した言葉が気
になったが、その夜はぐっすり眠った。
　次の日も今までと全く同じように過ごした。何も変わらず、青年
は拍子ぬけしてしまった。こんな生活ができたうえで、寿命が百年
も延びたなんて、なんと幸運なんだろう。
　ともあれ、今日もまじめに仕事を終えた。悪魔に悩まされて苦し
んだ分も、今夜の夢で解消しよう。楽しい夢でもみなけりゃ、やっ
ていられない。
　家に帰った青年は、悪魔がいなくなった夢の中で、またのんびり
楽しく過ごそうと７時ちょっと過ぎには床についた。
　しかし、うとうとした頃、けたたましい目覚まし時計に起こされ
てしまった。さっき、床に着いたばかりである。楽しい夢を見るど
ころではない。こんな大事な夜に誤動作するなんて、頭に来る目覚
まし時計である。見るとちょうど７時を指している。少し遅れてい
るようだ。目覚まし時計を合わせようと、柱時計を見た。いや、柱
時計も７時ちょうどだ。雨戸のすきまから、光が差している。立ち
上がって雨戸を開けると、そこはまさに朝だった。
　夜は終わったらしいが、夢は見られなかった。そればかりか、眠
ったという実感もわかなかった。うとうととする。すると、もう、
朝になっていた。青年にとって、夜はないのと同じだった。生きが
いとしていた夢は、もう永遠に見られないのだ。
　そう、これが悪魔の言った「それなりの代価」だった。青年の眠
る姿はまるで死んでいるかのようだった。青年は夜を生きていなか
ったのである。
　青年の頭の中を悪魔の言葉がこだましていた。
　「寿命は、せいぜい百年くらいしか延ばせないし、いったん延ば
すと、決して取り消しはできない。」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＬＭ

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